百合

百合の厚ぼったい花弁が美しくて、落ちてもそのままにしておいたら、なかなかに場所を取るようになった。それでも動かせないから、1とQの文字が打てない。

Quarantine Day 13


Chip, you finally came to my room after one week interval! You made my day!
I’ve noticed both you and my plant have a long tail. The plant used to be like a small green ball, but now it looks so gorgeous. Well Chip, you have also a beautiful tail, it must not have grown recently though.
朝からよいことがあった。チップが1週間ぶりに屋根裏部屋に上がってきてくれたのだ。久しぶりにチップと床でごろごろする。
ふと見上げると、部屋で育てている植物の長く伸びた葉が、動物の尻尾のように見えた。植物園の売店で買ってきたこの植物は元は小さな緑の塊のようであったのが、私が日本にいる間に家主の奥さんが大切に世話をしてくれたので、こんなに立派に成長した。青々とした見事な尻尾に惚れ惚れとする。おっと、チップ、あなたの尻尾も艶々と光っていて美しいですよ。さすがに最近はぐんぐん伸びることはないだろうけれど。

Quarantine Day 12

夜9時になっても穏やかな昼下がりのように明るい空の下、家主のお嬢さんたちがお友達と庭で話している。何を見ても聞いても、面白おかしく感じられる年頃である。軽やかに奏でられる木琴のような笑い声が聞こえてくる。焚き火を囲んでいるらしく、パチパチと木のはぜる音と煙の匂いが屋根裏部屋に流れてくる。
今日は一日、好きな作家の小説を読んだり、映画を見たりして過ごした。電子書籍の文字や映画の画面を映し出すラップトップコンピュータとそれを眺める私の周りを時間がゆっくりと流れていく、ような気がする。まるで私とコンピュータの周囲の時間の進む速さが外の世界とは違っているように感じられる。
外の世界でも、人や動物や植物や無機物や、それぞれの存在の周囲に時間が発生して、それらが波紋のようにして交じり合い、歪んだり、伸びたり縮んだりしながら、やがて束になって流れていく。
小さい頃に何かに夢中になる度に、しばしばそんな妄想を膨らませたものだった。だから、きっと大丈夫だと。本当は塾の宿題をやらなければならない時間に、ピアノの練習をしなければならない時間に、私は大概別のことに夢中になっていた。あとで叱られるとわかっていても、自分を止められないのだった。
そんな時に、私の周りの時間もいずれ外の世界の時間と合流する、そうなったらきっとやらないといけないと言われることもすぐにできるようになるはずだ。いつか外の世界に流れ着くためにも、今は真剣に自分の時間の流れを作り出さないといけない。そんな言い訳を考えついたわけだ。
果たして、大人になった私は、外の世界の時間に合流できたのだろうか。庭にいるはずの少女の笑い声がずっと遠くで聞こえる。

老い

この数ヶ月、私は「老い」について考えている。つまりは、老化である。そう、老化に夢中なのだ。
足腰の筋肉の伸び縮みが長距離の移動に耐えられなくなったとか、尿意を催す頻度が格段に高くなったとか、そういう肉体の老化の諸々の現象について事細かく語り合うことは、己の肉体の各所の不備をいかに諧謔的に語れるのかという、もはや話芸の首尾、不首尾の域において一喜一憂するべき事柄になっている。
が、しかしだ。自分の身体の状態を含めた自己認識として女であるのか男であるのかという性自認の問題と同時に、他人から見てどうであるのかという他者認識の問題にかかると、事はそんなにおもしろおかしくもなくなってくるのである。
ふと思う。自分が男であると確信している人物は、老化によって、そうした自分の性自認が揺らぐことがあるのだろうかと。どうなのだろう。どうなのですか?教えてください。
つまりは、そうした性自認や他者認識という厄介な事柄は、老化という現象と切っても切り離せない問題であることに、私は遅まきながら数ヶ月前に気づいてしまい、愕然としたのだ。
紆余曲折を経て、私は、自分が女であるという性自認を得た、というか、最近になってそういう考えに至った。そういう出来立てホヤホヤの自覚が、老化という自分ではどうすることもできない現象によって脅かされているのである。これは大ごとなのだ。
私自身は、少なくとも「女」という語彙が恒久的なものではなく、「女」だと言われている存在が、そうした属性をつなぎ目としてそれほど簡単に一体感を持ち得ることはないと思っている。だとしたら、私にとって「女」という属性、記号は、どんな意味を持っているのだろう。
老いるとともに悩みは深まるばかりである。

Quarantine Day 10 aftermath

My landlord family saved my life after I got totally bored this morning. They invited me again to their lovely garden. I stayed in a cocoon-like swing chair for two hours, which made me so refreshed. I could concentrate on my work in the green beautiful environment. All right, it’s Friday. I deserve to start drinking now, it’s still 4pm though! Proost!
午前中に引き籠り生活にほとほとうんざりしたところで、家主家族に救われる。一階の庭にいらっしゃいと声を掛けられ、コンピュータを抱えていそいそと降りていく。
繭の中にいるような安心感を与えてくれる素敵なゆり椅子に2時間ほど腰を掛けて、眩いくらいの緑に目を細め、鳥の囀りを聞き、隣の家のおじさんが庭の手入れをするのを眺める。紫外線をたっぷりと浴びて眠くなるかと思いきや、仕事がするすると捗ることこの上ない。
うふふ、今日はいろいろあったが、よくやった。あら、今日は金曜日。そろそろ飲み始めようかしら、まだ4時だけど。この時期のオランダの日没は午後10時近くにもなる。まだまだ夜は始まったばかり。

Quarantine Day 11

I’ve got a sleeping problem for these two years and I wake up at 2 or 3am every night. Someone told me you need enough physical strength to sleep for long hours. OK, I am too old to sleep until the morning… Last night I woke up at 3am as usual and went to the living room to wait for getting sleepy again. And I encountered a breathtaking night view of the city of Leiden, which convinced me that I received a reward for being old.
ここ2年ばかり、深夜に目が覚めてしまう。寝るのにも体力がいるから、朝まで寝続けるだけの若さがもうないのかもしれない。いつまでも惰眠を貪っていられたあの頃が懐かしいと思いながら、水を汲みに居間に出た。窓の外を見遣ると、この世とは思えぬほどに美しい夜景が広がっていた。老いの報酬を受け取った気がした。

Quarantine Day 10

I am a bit exhausted from learning a lot what’s going on with Covid-19 by listening to BBC world radio and reading Dutch newspapers everyday under this circumstances… I need some fresh air…
引き篭り生活の中で、BBCラジオやオランダの新聞を読んでコロナ情報を毎日得るのにだんだんと疲れてきた。外に出られることのありがたさを実感している。

Quarantine Day 9


Yes, you should concentrate on your work. Oh no! Don’t distract yourself by looking out the window at the beautiful sky! You still have some days to wait…
よしよし、仕事に集中しよう。こら、窓の外を眺めて、青空の美しさに気を取られなさんな!この空を満喫するのには、まだ数日、我慢しなければならないのだから。

Quarantine Day 8

OK, I have to admit that I am bored. At the beginning of my quarantine period, I was pretty sure that I could handle it as I used to stay at home for weeks to work on papers. I realized that the idea that I was not allowed to go outside made me feel totally exhausted. I just admire people in China and other areas who had/still have to stay at home for months.

Well, it’s mandatory and technically I can go out. My landlord family says I should go shopping or take a walk. But what makes me more exhausted is that, even though I was fed up with the strange atmosphere in Tokyo, where people watch each other and try not to be criticized by others for their deviant behaviors, I can’t help thinking people in Leiden might criticize me if I go out during my quarantine. That means I am such an idiot, who is easily influenced by others and cannot think by herself…. Sigh…

I still have no courage to stay outside. So I made a lunch box and enjoy picnicking at home! It was a pleasant moment to lie on a yoga mat and grab rice balls. I put Gouda cheese in the rice balls. Japanese cuisine meets Dutch one!

退屈である。引き籠り生活を始めた頃は、余裕で乗り越えられると思っていた。なぜなら、書き物をして数週間家に引き籠ることなど日常茶飯事だったからだ。

おそらく、「外に出てはいけない」という観念につきまとわれていることがうんざりするのだと思う。中国や他の地域で何ヶ月も家に引き篭もらなければならなかった方々の心境を察しては、さぞかし辛かったことだろうと想像してしまう。

オランダの場合、引き籠り自体は義務ではないので、外出は許されているのだ。家主や友達も買い物に行ったり、散歩をしたりすればよいのにと言う。

そうなのだ。私の気分をこんなに滅入らせているのは、自分自身の振る舞いなのだ。東京にいた時は、互いを監視し、間違った行動をしないようにとピリピリした自粛の雰囲気にうんざりしていたくせに、いざ、自分の判断で外に出てもよいと言われると、果たして、引きこもり期間中に出歩く自分のことを他者はどう思うだろうかと考えずにはいられないのだ。そういう他者の振る舞いに影響されやすく、自分の頭で考えられない自分自身にうんざりしているのだ・・・。

依然として外に出る勇気はない。だから、弁当を作って、家でピクニックをすることにした。ヨガマットに寝転がって、おにぎりをつまむのはなかなかに穏やかでよい。「日本の料理とオランダの料理とが出会った〜」とナレーションを入れながら、おにぎりにはゴーダチーズを入れてみた。美味であった。

Quarantine Day 7

I’ve been working on a voluntary seminar for 4th-year students of Meiji University since this April.

Three students and I have an online meeting every Tuesday and discuss over some books for hours. As all of the students are interested in Sociology, I chose Pierre Bourdieu’s “La distinction : Critique sociale du jugement” for reading assignment.

It’s just amazing to observe that students spend so much time and energy on reading and trying to comprehend Bourdieu’s difficult and complicated essay and devote themselves on an active discussion for hours every week. They don’t receive any credits from this seminar!

Adults sometimes criticize youngsters as being lazy and not studying hard. But all of students whom I have met so far explore enthusiastically what they want to study and work very hard on thinking and writing.

この4月から毎週、明大の4年生3人と自主ゼミを実施している。その名も「地下ゼミ」。密やかに思う存分話せる場になりますように、という意味を込めて。

他学部の学生さんが、卒論指導をしてほしいと連絡をくれたことがきっかけで、情コミの学生さん2人を交えて勉強会をすることにしたのだ。

参加者の目的はそれぞれで、大学院進学を念頭において研究計画や卒論を書きたいという学生、大学生の間にちゃんとした卒論を書きあげたいという学生、自由に意見を交わせる議論の場を持ちたいという学生、それぞれである。
参加者全員が社会学よりの関心を持っていたので、とりあえずピエール・プルデューの『ディスタンクシオン』を1章ずつ読み進めることにした。

自分で立ち上げておいていうのもなんだが、単位ももらえないし、卒論を書かなくても卒業できる学部にいるのに、難解で重厚な課題文に格闘し、ゼミでは3時間近くも熱心に議論をする学生さんの姿勢に驚嘆する。すごいですよ、あなた方。

近頃の大学生は勉強しない、なんていう大人がいたら、あなたはどうだったのですか!?と詰め寄りたい。私の目の前に現れる大学生は皆、大学の4年間の時間を惜しむかのように、ものすごくよく読み、考え、書いています。

これまで5年間続けてきた卒論ゼミの6期生に位置づけられたことで、卒業生たちとも交流が始まっているのも嬉しい。

ブルデューを読んだら、ジグムント・バウマンの『リキッド・モダニティ』を読む予定。社会学専門の友人の皆さん、地下ゼミで読むべき面白い本があれば、ぜひ教えてください!