Quarantine Day 10

I am a bit exhausted from learning a lot what’s going on with Covid-19 by listening to BBC world radio and reading Dutch newspapers everyday under this circumstances… I need some fresh air…
引き篭り生活の中で、BBCラジオやオランダの新聞を読んでコロナ情報を毎日得るのにだんだんと疲れてきた。外に出られることのありがたさを実感している。

Quarantine Day 9


Yes, you should concentrate on your work. Oh no! Don’t distract yourself by looking out the window at the beautiful sky! You still have some days to wait…
よしよし、仕事に集中しよう。こら、窓の外を眺めて、青空の美しさに気を取られなさんな!この空を満喫するのには、まだ数日、我慢しなければならないのだから。

Quarantine Day 8

OK, I have to admit that I am bored. At the beginning of my quarantine period, I was pretty sure that I could handle it as I used to stay at home for weeks to work on papers. I realized that the idea that I was not allowed to go outside made me feel totally exhausted. I just admire people in China and other areas who had/still have to stay at home for months.

Well, it’s mandatory and technically I can go out. My landlord family says I should go shopping or take a walk. But what makes me more exhausted is that, even though I was fed up with the strange atmosphere in Tokyo, where people watch each other and try not to be criticized by others for their deviant behaviors, I can’t help thinking people in Leiden might criticize me if I go out during my quarantine. That means I am such an idiot, who is easily influenced by others and cannot think by herself…. Sigh…

I still have no courage to stay outside. So I made a lunch box and enjoy picnicking at home! It was a pleasant moment to lie on a yoga mat and grab rice balls. I put Gouda cheese in the rice balls. Japanese cuisine meets Dutch one!

退屈である。引き籠り生活を始めた頃は、余裕で乗り越えられると思っていた。なぜなら、書き物をして数週間家に引き籠ることなど日常茶飯事だったからだ。

おそらく、「外に出てはいけない」という観念につきまとわれていることがうんざりするのだと思う。中国や他の地域で何ヶ月も家に引き篭もらなければならなかった方々の心境を察しては、さぞかし辛かったことだろうと想像してしまう。

オランダの場合、引き籠り自体は義務ではないので、外出は許されているのだ。家主や友達も買い物に行ったり、散歩をしたりすればよいのにと言う。

そうなのだ。私の気分をこんなに滅入らせているのは、自分自身の振る舞いなのだ。東京にいた時は、互いを監視し、間違った行動をしないようにとピリピリした自粛の雰囲気にうんざりしていたくせに、いざ、自分の判断で外に出てもよいと言われると、果たして、引きこもり期間中に出歩く自分のことを他者はどう思うだろうかと考えずにはいられないのだ。そういう他者の振る舞いに影響されやすく、自分の頭で考えられない自分自身にうんざりしているのだ・・・。

依然として外に出る勇気はない。だから、弁当を作って、家でピクニックをすることにした。ヨガマットに寝転がって、おにぎりをつまむのはなかなかに穏やかでよい。「日本の料理とオランダの料理とが出会った〜」とナレーションを入れながら、おにぎりにはゴーダチーズを入れてみた。美味であった。

Quarantine Day 7

I’ve been working on a voluntary seminar for 4th-year students of Meiji University since this April.

Three students and I have an online meeting every Tuesday and discuss over some books for hours. As all of the students are interested in Sociology, I chose Pierre Bourdieu’s “La distinction : Critique sociale du jugement” for reading assignment.

It’s just amazing to observe that students spend so much time and energy on reading and trying to comprehend Bourdieu’s difficult and complicated essay and devote themselves on an active discussion for hours every week. They don’t receive any credits from this seminar!

Adults sometimes criticize youngsters as being lazy and not studying hard. But all of students whom I have met so far explore enthusiastically what they want to study and work very hard on thinking and writing.

この4月から毎週、明大の4年生3人と自主ゼミを実施している。その名も「地下ゼミ」。密やかに思う存分話せる場になりますように、という意味を込めて。

他学部の学生さんが、卒論指導をしてほしいと連絡をくれたことがきっかけで、情コミの学生さん2人を交えて勉強会をすることにしたのだ。

参加者の目的はそれぞれで、大学院進学を念頭において研究計画や卒論を書きたいという学生、大学生の間にちゃんとした卒論を書きあげたいという学生、自由に意見を交わせる議論の場を持ちたいという学生、それぞれである。
参加者全員が社会学よりの関心を持っていたので、とりあえずピエール・プルデューの『ディスタンクシオン』を1章ずつ読み進めることにした。

自分で立ち上げておいていうのもなんだが、単位ももらえないし、卒論を書かなくても卒業できる学部にいるのに、難解で重厚な課題文に格闘し、ゼミでは3時間近くも熱心に議論をする学生さんの姿勢に驚嘆する。すごいですよ、あなた方。

近頃の大学生は勉強しない、なんていう大人がいたら、あなたはどうだったのですか!?と詰め寄りたい。私の目の前に現れる大学生は皆、大学の4年間の時間を惜しむかのように、ものすごくよく読み、考え、書いています。

これまで5年間続けてきた卒論ゼミの6期生に位置づけられたことで、卒業生たちとも交流が始まっているのも嬉しい。

ブルデューを読んだら、ジグムント・バウマンの『リキッド・モダニティ』を読む予定。社会学専門の友人の皆さん、地下ゼミで読むべき面白い本があれば、ぜひ教えてください!

Quarantine Day 6

Thanks to my landlord family’s warm support, I could stay outside for the first time after five-day quarantine. I spent two hours in their garden with Maus, a lovely dog, who took care of me. It was such a refreshing moment to lie on a swing chair and to read books. The garden, which has many old trees and greens, was just a heaven.
引きこもり生活5日目にして初めて戸外に出た。家主家族の温かい計らいにより、彼らの庭で2時間ばかり過ごしたのだ。木々の合間に繭玉のような素敵なゆり椅子がぶら下がっていて、その中で揺れながら、ボーダーコリーのマウシュがあれこれと気遣ってくれる中を本を読むのはなんと爽やかで穏やかな時間であったことか。

Quarantine Day 4

ベルギー人の友人がいる。彼女はアントワープ大学の法学系の大学院に所属している院生で、来週、博士論文の口頭試問を受けるという。昨日は、彼女が自分の友達を査読者に見立ててオンラインでリハーサルをするというので、その1人として参加した。
事前に博論のデータを送ってもらって読んだのだけれど、これがもう素晴らしく面白い内容で、どうしても書き残しておかなければと思ったのだ。とはいえ、まだ博論審査の前なので、ざっくりと問題のない程度に記しておこうと思う。
博論では、ベルギーとオランダにおける3人以上の親によって構成される家族に焦点が絞られ、そうした家族に関する法律解釈と実態とのずれが解き明かされている。具体的には、複数親による家族についての現行のベルギーとオランダの法律解釈が分析された上で、実際にそうした家族を構成している人々へのインタビューが行われ、そこでどのような家族に関する語彙が用いられたかが分析されている。
そうした分析の結果、法律が人々の家族をめぐる社会行動を規定し、拘束することが明らかにされる一方で、新たな家族の形態を作り上げる人々の社会行動が、新たな法律の制定や施行を駆動していることも導き出されている。
中でも興味深いのは、家族を規定する現行のベルギーやオランダの法律の語彙が、「核家族」、すなわち、〈父〉と〈母〉という異なるジェンダーによるつがい(カップル)を「親」と捉え、彼らとの間にできた〈子〉を含めて〈家族〉という単位として認識する、という考え方を踏まえているという指摘である。
博論では、「核家族」は必ずしも歴史上普遍的な家族の形ではなく、かつては異なる家族の形があって、これからも新たな家族の形が生まれていく。そうだとするならば、現在の社会において営まれている様々な家族の形を踏まえた法律が作られるべきだろうと結論づけられ、実際に法律を変えていくための具体的な指針が提言されていた。
同性同士やトランスジェンダーのカップルが子供を成す場合には、精子や卵子の提供や代理出産によって第三者が否応なく関わることになる。もしくは、そうした出産に直接関わらなくても、3人以上の人々が〈親〉として子供を養育している家族も実際に存在している。そうした家族にとって、法律上、〈父〉と〈母〉に該当する人たち以外の人々が〈親〉に準ずる存在として規定されてしまうことで、家族の社会生活を営む上で重大な問題が生じることがある。
こうしたオランダやベルギーの問題を乗り越えるべき参照事例として、カナダやアメリカのいくつかの州の法律が挙げられていた。そうした法律によると、法的書類には「父」と「母」という語彙を用いずに、「親」とのみ記せばよいらしい。そうすることで、〈親〉という概念をジェンダーによって切り分けずに済むだけでなく、〈第二の父/母〉、〈生物学的な母〉や〈代理母〉などの〈親〉の中でのヒエラルキーを作らずに済むのである。
ベルギーとオランダは世界に先駆けて同性婚が法律的に認められた国々である。そのことだけでも、私にとっては激しく羨ましいことで、日本での遅々として進まぬ議論に苛立ち、怒りを覚えてきた。そんな私は到底未熟であった。昨日私が体験したのは、同性婚はもはや当然のこととされた上で、複数親による新たな家族の環境を整えるべく、活発に言葉が交わされる目の覚めるような議論だったのだ。
日本もオランダやベルギーと同様、歴史的に様々な家族の形態を生み出し続けてきた。それならば、異性カップルによる核家族を基本とする現行の家族観は、現実に作られ、営まれている新たな家族のあり方によって乗り越えられてよいはずである。
友人の博論が力強く示していたように、現実の家族が新たな法律の制定を駆動するのだとしたら、現在の日本社会において存在するのだけれど、見えなくさせられている様々な新たな形の家族を可視化する動きを作っていくこと、そして、可視化しても大丈夫だと当事者たちが思える環境を作っていくこと、それらが私にできることなのではないかと思った。