夜9時になっても穏やかな昼下がりのように明るい空の下、家主のお嬢さんたちがお友達と庭で話している。何を見ても聞いても、面白おかしく感じられる年頃である。軽やかに奏でられる木琴のような笑い声が聞こえてくる。焚き火を囲んでいるらしく、パチパチと木のはぜる音と煙の匂いが屋根裏部屋に流れてくる。
今日は一日、好きな作家の小説を読んだり、映画を見たりして過ごした。電子書籍の文字や映画の画面を映し出すラップトップコンピュータとそれを眺める私の周りを時間がゆっくりと流れていく、ような気がする。まるで私とコンピュータの周囲の時間の進む速さが外の世界とは違っているように感じられる。
外の世界でも、人や動物や植物や無機物や、それぞれの存在の周囲に時間が発生して、それらが波紋のようにして交じり合い、歪んだり、伸びたり縮んだりしながら、やがて束になって流れていく。
小さい頃に何かに夢中になる度に、しばしばそんな妄想を膨らませたものだった。だから、きっと大丈夫だと。本当は塾の宿題をやらなければならない時間に、ピアノの練習をしなければならない時間に、私は大概別のことに夢中になっていた。あとで叱られるとわかっていても、自分を止められないのだった。
そんな時に、私の周りの時間もいずれ外の世界の時間と合流する、そうなったらきっとやらないといけないと言われることもすぐにできるようになるはずだ。いつか外の世界に流れ着くためにも、今は真剣に自分の時間の流れを作り出さないといけない。そんな言い訳を考えついたわけだ。
果たして、大人になった私は、外の世界の時間に合流できたのだろうか。庭にいるはずの少女の笑い声がずっと遠くで聞こえる。