Quarantine in Leiden Day 1:
今日から2週間の引きこもり生活開始。
屋根裏部屋の窓から見える景色は、これまでとなんら変わらない。いや、2か月前は寒風が吹くなかをコートを着込んだ人々が自転車を全速力で漕ぎ去っていたのだから、景色は一変している。でも、マスクをせずに歩く人々が、眩しいくらいに美しく輝く新緑をのんびりと愛でている様子を見る限り、この間に起きた根本的な変化はまだ感じられないのだ。
月: 2020年5月
Back in Leiden!
Back in this beautiful place! Charming singing voices of birds welcomed me!
この美しい場所にようやく戻ってこられました。早朝の鳥たちの愛くるしい鳴き声に出迎えられました。
flying to the Netherlands.
Good. I can at least reach the Netherlands.
Book Challenge Day 7: Virginia Woolf, “A Room of One’s Own”.
(English shown below)
Book Challenge Day 7: Virginia Woolf, “A Room of One’s Own”.
「たくましくしなやかに生きる女性が登場する作品」をテーマに続けてきたブックチャレンジ最終日は、イギリスの小説家ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』を取り上げることにしました。
「わたしにできるのは、せいぜい一つのささやかな論点について、〈女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない〉という意見を述べることだけです。」(平凡社ライブラリー、p.10)
この一文で有名な本作品は、ウルフがケンブリッジ大学の女子学生に向け行った講演をもとにした物語です。
以前読んだある詩の中で「言葉の杖」という表現を目にしたことがあるのですが、私にとってまさに「言葉の杖」であるのがこの作品です。「杖」とは、我が身を支え、歩行の一助となってくれるもののことを言いますが、昨夏、オランダに移った直後に買い求めたこの作品の英語版は、私がオランダで生き抜く「言葉の杖」となってくれました。
ある時はページの最初から読み始めて、ウルフのうねるような思考の流れを辿ってみたり、またある時は思いつくままにページを開いて、そこに書き付けられた一文に涙したり、またある時は自分の心の傷を癒してくれる一文を求めて貪るようにページを繰ったり・・・。
今日は目を瞑って、適当なページをえいっと開いてみました。そこにはこんなことが書かれていました。
「わたしは部屋に入りますーでも女性が部屋に入ったときに何が起きるかを報告するためには、英語の持っている資質を最大限に押し広げ、言葉を違法なまでに羽ばたかせなくてはなりません。部屋はそれぞれまったく違っています。」(153頁)
「もし女性が男性と同じように書き、男性と同じように生き、男性と同じような外見になったとしたら、それもじつに残念なことでしょう。世界の広さと多様性を考えれば二つの性別だけではきわめて無力だというのに、一つの性別だけでどうしてやっていけるでしょうか?わたしたちは現状ではあまりに似通っています。もしも探検家が、別の木々の枝の隙間から別の空を見上げている、わたしたちとは異なる性別のひとたちの言葉を持ち帰ってくれるなら、人類へのそれ以上の貢献はないでしょう。」(153-4頁)
私は、明日、オランダに戻ります。あの居心地の良い、私だけのためのライデンの屋根裏部屋に無事たどり着くことができなら、この投稿にオランダの「言葉の杖」の写真を付け加えようかな。
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Book Challenge Day 7: Virginia Woolf, “A Room of One’s Own”.
“A woman must have money and a room of her own if she is to write fiction.”
I don’t remember how many times that I have recited in my life this famous passage from this essay, which is based on lectures Woolf delivered to female students at Cambridge University in 1928.
This essay, which has meant a lot to me, is something like a walking stick, which helps me to survive this world.
I’ve enjoyed this essay in various ways: I sometimes read from the beginning of it, I sometimes open pages randomly and appreciate with tears the phrases and passages, or I sometimes turn the pages craving for passages that would heal and encourage me.
I of course bought a copy of the original English version of this essay right after I moved in Leiden last summer hoping that it would help me with surviving in the Netherlands, and it has indeed supported me so many times.
I will fly back to the Netherlands tomorrow and am so looking forward to reading this essay in my beautiful and cozy own room in Leiden!
Book Challenge Day 6: Dayanita Shingh, “Museum Bhavan”.
Book Cover Challenge Day 5:姫野カオルコ『ツ、イ、ラ、ク』
Book Cover Challenge Day 5:姫野カオルコ『ツ、イ、ラ、ク』。
「たくましくしなやかに生きる女性が登場する物語」をテーマに7冊の本を紹介しています。
今日は、姫野カオルコさんの『ツ、イ、ラ、ク』です。
それにしても、なんといかがわしいタイトル、なんと卑猥な感じの表紙でしょうか!
そんな我が愚かな先入観によって、長らく手に取らなかったのが、この小説です。
ところが、ふと表紙を開き、冒頭の数ページを読み進めただけで、私は自分の置かれている現実がたちまち背後に遠ざかっていくのを感じ、その物語世界にどっぷりと身も心も浸かってしまったのです。
なぜ、これほどまでに姫野作品にハマってしまったのだろう。要約するならば、女子中学生とその学校の教師の短き恋の話です。そんなたわいもない物語になぜ魅了されたのかと、自分に問うと、ふつふつと湧き上がるのは、語り手という単語です。
この小説は奇妙な語り手によって物語が語り進められます。それは、物語世界の住人として、登場人物に親身になり、寛大な言葉でもって物語を語る人物でありながら、それとは別の、つまり、私たちと同じ現実世界に留まりながら、できうる限り客観的な視座から時に冷徹な眼差しで登場人物の行動を裁断する人物でもあるという、不思議な立ち位置に置かれた語り手なのです。
そうした、全知の語り手のような第三人称でもありつつ、登場人物が語る第一人称の語り手に限りなく近しい立場でもあるという、曖昧な存在の語りに導かれ、私は物語世界が目の前に立ち現れるような臨場感を抱きながらも、いやいや、これは虚構の話なのだという諦めとともに、身を切られるような悲しみを感じて、登場人物の恋のゆくえを追うのでした。
恋ほどに、生きることの充実感を味わうことができると同時に、絶望的な虚しさを感じる体験はないと、思慮の浅い私は思います。
だとしたら、そんな強烈な体験を十代のはじめに体験してしまった女性主人公のその後の人生はどのように展開していくのでしょう。
そのように浅ましい邪推をしてしまう私は、彼女のそれからの人生に何を想定し、期待しているのでしょうか。優しい伴侶?幸せな家庭?可愛げのある子供?素敵な庭のある家?しつけの行き届いた犬?そうした人やものを手に入れたとして、それらは彼女の人生を幸せへと導くのでしょうか。では、そもそも、人の幸せとは何なのでしょう?
そうした私の無知蒙昧を愚弄するかのように、語り手は恋する主人公たちを叱咤し、励まし続けるのです。
恋という、かりそめの時間に代えられるほどの質や量の体験があろうかと、語り手は哀れな恋人たちの愚行を慈しんでいるような気が私にはしてなりません。そればかりか、謎の語り手は、私が、物語の登場人物たちの行末に愚かしくも己の生/性に投影しても、そういうものかもしれないねと、やさしく受け止めてくれるようにも思えるのです。
Book Cover Challenge Day 4:本谷有希子『あの子の考えることは変』
「たくましくしなやかに生きる女性が登場する物語」をテーマに7冊の本を紹介しています。
今日は、本谷有希子さんの『あの子の考えることは変』。
ブックカバーチャレンジは、あれこれ解説を加えてはいけないルールだと知らず、昨日まで長々と書いてきたので、今日は簡潔に。と言っても、長くなるだろうけれど。
「あの子の考えることは変」と、家族や周囲の人たちがため息をつきながら自分のことを話すのを聞きながら生きてきた私は、この本の表紙を見て、自分のことが書かれているのかな?と飛びつき、実際に物語の登場人物の中に自分の分身を見つけました。
それ以来、中毒といえるほどに本谷作品を耽読してきました。どの作品でもすごく変な女性たちが出てきて、周囲に変だと言われていることを薄々感じながらも、変に生きざるをえない生き様がそれはもう変に描かれているのだけれど、その変さに触れ続けていると、あれ?その変さは彼女たちを変だと決めつける周囲や社会の変さなのかもと思えてくるだけでなく、彼女たちの変さが愛おしくてたまらなくなるという、素晴らしく変な物語ばかりなのです。
たった一文の中で、「変」て何回言ったんだ、私。
Book Cover Challenge Day3:橋本治『浄瑠璃を読もう』
「たくましくしなやかに生きる女性が登場する物語」をテーマに7冊の本を紹介しています。
今日は、橋本治の『浄瑠璃を読もう』です。昨年亡くなった小説家の橋本治さんが書かれた、人形浄瑠璃の解説書です。これがもう素晴らしく面白くて!
私は大学生の頃にたまたま公演を見たのがきっかけでハマって以来、大阪の文楽劇場に足を運んだり、本公演に飽き足らず、素浄瑠璃を聞きにいくほど、浄瑠璃が好きです。
でも、なぜ好きなのかと言われると、その理由を説明することができなくてもやもやしていたのですが、その問いをすっきり解き明かしてくれたのがこの本です。
橋本さんの文章に共通する、ゆるゆるとうねるような語りにも魅了されますので、浄瑠璃に興味のある方もそうでない方もぜひ読んでいただきたい一冊です。
では、「たくましくしなやかに生きる女性が登場する物語」のテーマになぜこの本を選んだのかというと、浄瑠璃の物語世界に登場する女性たちについての橋本治さんの解説がそれはもう魅力的だからです。とりわけ、若い女性たちを「ちょっとおバカさんで尻軽」(該当の文章を確認し忘れたので、正確ではありませんが、こんな感じ)と形容しているくだりには、はたと膝を打ったものです。
そうなんです。浄瑠璃にはたくさんの女性が登場しますが、中でもお姫様や腰元、町娘などの若い女性は、ちょっとおバカさんで、しかも、好きな人ができるとそのことで頭が一杯になってなりふり構わなくなってしまう、そんな人物が多いのです。
有名な『仮名手本忠臣蔵』にはお軽という女性が登場しますが、彼女は赤穂義士の一人早野勘平と恋仲になります。二人が熱々の逢瀬を楽しんでいる間に、江戸城内で君主が松の廊下事件を起こすという展開はこの浄瑠璃の見どころの一つです。
「あなた、おバカさんで尻軽ね」なんて言われたら、現代の女性なら怒ることでしょう。実際のところ、浄瑠璃の女性描写を女性差別的だと解釈することもできないわけではないかもしれません。
でも、橋本治さんは、浄瑠璃に出てくる女たちを愛しみ、恋愛を謳歌する彼女たちの人生を讃えて、そう形容しているのだと思います。
そう、おバカさんで尻軽で何が悪い!軽薄で恋にうつつを抜かしてはどうしていけないの?
橋本治さんのこの本を読んで、私は自分がある種の観念に呪縛されていたのだなと気づきました。バカにされないように生きねば。女を売りにせず、賢くならなければと。そういう考えにがんじがらめになっていたところから解放されたような清々しい気持ちになったのを今でもよく覚えています。
橋本治さんは、近代以前の物語作品を読み解くことで、当時の人々の価値観をおおらかだとか安易に解釈するわけではありません。むしろ、近代以前の人々を取り巻いていた複雑な環境を丹念に解きほぐすことで、現代の私たちもまたいろいろな価値観に縛られていることを示唆してくれているような気がします。
Book Cover Challenge Day 2:中島京子『女中譚』
「たくましくしなやかに生きる女性が登場する物語」をテーマに7冊の本を紹介しています。
中島京子さんの小説には魅力的な女性がたくさん登場する。は、林芙美子の『女中の手紙』、吉屋信子『たまの話』、永井荷風の『女中のはなし』の物語に登場する女中たちの、原作では語られていない側面に光を当てて描かれた短編集で、原作と合わせて読んでも、単独で読んでも一気に物語世界に引き込まれる魅力的な作品である。
私は、女中という、他人の家に平然と住みながらも、いないかのように扱われる存在が気になってしかたがないのだけれど、中島京子さんもそうらしく、代表作の『小さなおうち』では女中が語り手となって、彼女が住み込んでいたある家族の物語を語り起こされる。
その女中の語りの中に立ち現れる女主人のイメージは、本当の女主人とはかけ離れているのかもしれない。では、誰かの視点を抜きに、人物や事物のありようを語ることなどできようか。そんなことを考え始めると、もう一度読み直してみたくなるのが、中島京子さんの作品である。
デビュー作の『FUTON』も素晴らしくて、田山花袋の『布団』の中で端役として現れる主人公の妻が中心となり、現代まで話が展開して、原作では語られることのなかった女たちのたくましさ、しなやかが描かれている。
どの作品にも密やかに、でも胸の熱くなるような女性同士の恋愛が描かれるのも好きだ。
しかし、『小さなおうち』も『FUTON』も『妻が椎茸だったころ』も、『イトウの恋』も『さようなら、コタツ』も、家のどこを探しても見つからないのだ。マスクをして研究室まで出掛けてみたけれど、ない。
本棚をひっくり返していたら、学生さんに薦めて貸した記憶がポツポツと蘇ってきた。
そこで、私の本を持っている学生さんへ、この場を借りて連絡します。ぜひお友達に貸して、中島京子さんの作品の面白さを広めてください。返ってこなくていいのです。
Book Cover Challenge Day 1:南房総の物語
海女の鈴木直美さんにお声かけいただいたブックカバーチャレンジ。
せっかくなので、鈴木さんに因んだテーマで7冊の本をご紹介しようと思います。すなわち、「たくましくしなやかに生きる女性が登場する物語」。
1日目は、海女の鈴木さんご自身が主人公として登場する物語です。明治大学南房総ゼミの学生が、実際にインタビューをして話を伺い、イルカのようにしなやかで美しい鈴木さんの人生を小説にしました。
鈴木さんの物語のほかにも、南房総ゼミでは、南房総で活動する女性たちのおおらかで力強くも魅力的な人生の物語がいくつも編まれました。
南房総ゼミはどういうわけが毎年女子学生が多め、しかも全員強めなのが特徴なのですが、彼女たちと彼らが卒業してからも、その芯の強さを大切に、南房総の女性たちのようにたくましく生きていってくれることを願っています。
写真にはこれまでのゼミの活動でゼミ生たちがまとめた物語の冊子も合わせて掲載しました。