Quarantine Day 4

ベルギー人の友人がいる。彼女はアントワープ大学の法学系の大学院に所属している院生で、来週、博士論文の口頭試問を受けるという。昨日は、彼女が自分の友達を査読者に見立ててオンラインでリハーサルをするというので、その1人として参加した。
事前に博論のデータを送ってもらって読んだのだけれど、これがもう素晴らしく面白い内容で、どうしても書き残しておかなければと思ったのだ。とはいえ、まだ博論審査の前なので、ざっくりと問題のない程度に記しておこうと思う。
博論では、ベルギーとオランダにおける3人以上の親によって構成される家族に焦点が絞られ、そうした家族に関する法律解釈と実態とのずれが解き明かされている。具体的には、複数親による家族についての現行のベルギーとオランダの法律解釈が分析された上で、実際にそうした家族を構成している人々へのインタビューが行われ、そこでどのような家族に関する語彙が用いられたかが分析されている。
そうした分析の結果、法律が人々の家族をめぐる社会行動を規定し、拘束することが明らかにされる一方で、新たな家族の形態を作り上げる人々の社会行動が、新たな法律の制定や施行を駆動していることも導き出されている。
中でも興味深いのは、家族を規定する現行のベルギーやオランダの法律の語彙が、「核家族」、すなわち、〈父〉と〈母〉という異なるジェンダーによるつがい(カップル)を「親」と捉え、彼らとの間にできた〈子〉を含めて〈家族〉という単位として認識する、という考え方を踏まえているという指摘である。
博論では、「核家族」は必ずしも歴史上普遍的な家族の形ではなく、かつては異なる家族の形があって、これからも新たな家族の形が生まれていく。そうだとするならば、現在の社会において営まれている様々な家族の形を踏まえた法律が作られるべきだろうと結論づけられ、実際に法律を変えていくための具体的な指針が提言されていた。
同性同士やトランスジェンダーのカップルが子供を成す場合には、精子や卵子の提供や代理出産によって第三者が否応なく関わることになる。もしくは、そうした出産に直接関わらなくても、3人以上の人々が〈親〉として子供を養育している家族も実際に存在している。そうした家族にとって、法律上、〈父〉と〈母〉に該当する人たち以外の人々が〈親〉に準ずる存在として規定されてしまうことで、家族の社会生活を営む上で重大な問題が生じることがある。
こうしたオランダやベルギーの問題を乗り越えるべき参照事例として、カナダやアメリカのいくつかの州の法律が挙げられていた。そうした法律によると、法的書類には「父」と「母」という語彙を用いずに、「親」とのみ記せばよいらしい。そうすることで、〈親〉という概念をジェンダーによって切り分けずに済むだけでなく、〈第二の父/母〉、〈生物学的な母〉や〈代理母〉などの〈親〉の中でのヒエラルキーを作らずに済むのである。
ベルギーとオランダは世界に先駆けて同性婚が法律的に認められた国々である。そのことだけでも、私にとっては激しく羨ましいことで、日本での遅々として進まぬ議論に苛立ち、怒りを覚えてきた。そんな私は到底未熟であった。昨日私が体験したのは、同性婚はもはや当然のこととされた上で、複数親による新たな家族の環境を整えるべく、活発に言葉が交わされる目の覚めるような議論だったのだ。
日本もオランダやベルギーと同様、歴史的に様々な家族の形態を生み出し続けてきた。それならば、異性カップルによる核家族を基本とする現行の家族観は、現実に作られ、営まれている新たな家族のあり方によって乗り越えられてよいはずである。
友人の博論が力強く示していたように、現実の家族が新たな法律の制定を駆動するのだとしたら、現在の日本社会において存在するのだけれど、見えなくさせられている様々な新たな形の家族を可視化する動きを作っていくこと、そして、可視化しても大丈夫だと当事者たちが思える環境を作っていくこと、それらが私にできることなのではないかと思った。

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